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東京高等裁判所 昭和56年(行コ)78号 判決 1982年8月26日

控訴人(原告) 花井郁子

被控訴人(被告) 静岡県知事

訴訟代理人 御宿和男

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が建築基準法第四二条第二項に基づき原判決添付図面一、二に赤斜線で表示した土地につき昭和五二年五月二一日にした道の指定処分を取り消す。

訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張ならびに証拠関係は、控訴代理人において甲第一二号証の一ないし四(昭和五七年二月一六日撮影の各種リヤカーの幅についての写真)、第一三号証の一、二(一は昭和三六年ごろ、二は昭和四〇年ごろ各撮影の本件現地の写真)を提出し、当審における証人近藤辰栄の証言を援用し、被控訴代理人において「甲第一二号証の一ないし四、第一三号証の一、二が控訴人主張の写真であることは不知。」と陳述したほかは、原判決事実欄の「第二当事者の主張」および「第三証拠」に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  被控訴人が静岡県磐田市長の申請により、建築基準法第四二条第二項に基づいて静岡県磐田市見付字境松三、〇九八番五、同番一一の各土地の全部、同番四、同番一四、同番一九の各土地の各一部(原判決添付図面一、二に赤斜線で表示した土地)および同番六の土地(同じく青斜線で表示した土地)につき昭和五二年五月二一日付で道の指定処分(本件道指定処分)をしたこと、控訴人は右三、〇九八番四、同番一四の各土地および右指定対象地に隣接する同番一五の土地を所有しており、本件道指定処分によりその各所有地の一部について建築物等の建築制限の効果が生ずることになつたため、昭和五二年八月三〇日、静岡県建築審査会に対し本件道指定処分につき審査請求をしたところ、同審査会は昭和五四年二月九日、本件道指定処分のうち右三〇九八番六の土地にかかる部分のみを取り消し、その余の部分についての請求を棄却する旨の裁決をしたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  そして、当裁判所も被控訴人の本案前の抗弁はいずれも採用できないものと判断するのであり、その理由は次のとおり付加・訂正するほかは、原判決理由説示(原判決一〇丁表八行目から一一丁表末行まで)のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一〇丁表八行目に「本件道指定処分」とあるのを「本件道指定処分(前記のとおり静岡県建築審査会により一部取り消された後のもの=原判決添付図面一、二に赤斜線で表示した土地にかかるもの、以下同じ。)」と改める。

2  同一〇丁表一〇行目の「と主張するけれども、」から同裏四行目の「た場合には、」までを次のとおり改める。

「と主張する。確かに、特定行政庁によつては、建築基準法第四二条第二項の道の指定を個別的・具体的には行なわず、一定の抽象的基準を定立し、これを告示することによつて包括的に行つていることは周知のとおりであり、右道の指定についてこのような包括指定の方式が採られた場合には、その指定は不特定多数人を対象としたいわゆる一般処分であるといえるから、被控訴人主張のように、その取消しを求める訴えは事件としての成熟性に欠けるものということができる。しかしながら、本件道指定処分は右のような方式によつたものではなく、その対象となる土地を個別具体的に特定してなされたものであり、」

3  同一〇丁裏末行の「原告所有地」から同一一丁表一行目の「建築し得」までを「控訴人は本件道に沿つた土地を建築物の敷地として利用することができ」と改める。

4  同一一丁表三行目冒頭から五行目の「けれども、」までを次のとおり改める。

「確かに、本件道指定処分が取り消されれば、ほかに道路に二メートル以上接したところがない限り、そのままの状態では控訴人はその所有土地を建築物の敷地として利用することはできなくなるけれども、」

三  そこで、本件道指定処分の適否について検討する。

(一)  建築基準法第四二条第二項本文は、同法第三章の規定が適用されるに至つた際現に建物が立ち並んでいる幅員四メートル未満の道で、特定行政庁の指定したものは、同条第一項の規定にかかわらず、同法上の道路とみなす旨を規定しているところ、本件道指定地付近一帯が早くから都市計画区域に指定されていたことは弁論の全趣旨に照らして明らかである。そして、一方、建築基準法が施行されたのは、その後の昭和二五年一一月二三日のことであるから、本件道指定地が同法第四二条第二項本文所定の要件を具備したものかどうかは、結局のところ、右建築基準法施行の日を基準時として、当時の本件道指定地の現況をもとにして判断されることになる。

(二)  そこで、右基準時における本件道指定地の現況をみるに、いずれも成立に争いのない甲第一号証の一、二、第二号証の二ないし一五、乙第五号証の一のうち北口君子の陳述を記載した部分、同じく鈴木たまのの陳述を記載した部分の一部、第九号証の一、二、四、五、八、九、原審における証人増田ちずの証言により真正に成立したと認められる甲第九号証、原審における証人鈴木たまのの証言により真正に成立したと認められる乙第五号証の二の記載の一部、原審における証人北口君子の証言により甲第五号証の一は昭和二六年ごろの、同号証の二は昭和二五年ごろの本件道指定地付近の一部が撮影されている写真であることが認められる右各号証、原審における証人中山敬一、同北口君子、当審における証人近藤辰栄の各証言および原審における証人鈴木たまの、同増田ちずの各証言の一部を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、

1  本件道指定地を含む一区画の土地(他の土地が分筆される以前の静岡県磐田市見付字境松三、〇九八番一、同番二、同番四、同番五、同番六、同番七の各土地)は、訴外中山和平が、昭和一〇・一一年代にそれぞれ前所有者からこれを買い受けて取得したものであり、前記基準時においては、和平は既に亡く(昭和一八年九月戦死)、右一区画の土地はその相続人の所有となつていたこと、

2  ところで、右一区画の土地は、もとはその全部が畑であつたが、和平はその生前、家業である竹材の販売業を営んでいたことから、右一区画の土地を取得したあと、主としてその南側の部分(原判決添付図面一に「駐車場」と表示されている部分付近)を竹材の置場として使用し、その北側、とくに西寄りの部分は畑のままの状態にしておいたこと、

3  そして、第二次大戦後は、和平の実弟である訴外中山敬一が竹材の販売業を受け継ぎ、併せて右一区画の土地をも管理していたところ、敬一は、戦時中、兵役に服している間に知り合つた訴外増田一郎が、戦後住居に困つていることを知り、同人に頼まれ右一区画の土地のうち北側の東に寄つた一画(原判決添付図面一に「(旧増田一郎宅)」と表示されている部分)を貸し与え、増田はここに住居用建物を築造し、昭和二四年一二月二八日ごろからその家族とともに居住するようになつたこと、

4  また、訴外鈴木勝久の父慶次郎は敬一に雇用され、竹材の買入れ・販売等の仕事に従事していたところ、家主にその住居からの立退きを求められ、移転先に窮する事態に立ち至つたため、敬一は慶次郎に対して右一区画の土地のうち北側の中ほどの一画(原判決添付図面一に「鈴木勝久宅」と表示されている部分)を貸し与え、慶次郎はここに住居用建物を築造し、昭和二五年七月一日ごろからその家族とともに居住するようになつたこと、

5  ところで、本件道指定地(原判決添付図面に赤斜線で表示されている部分)はもともと空地になつていて、東側の県道磐田天龍線との間の、主としてリヤカーによる竹材の搬入・搬出のための通路として使用されていたものであり、増田や鈴木らもここに居住するようになつてからは県道との間の出入りのため右空地部分を通行し、また、訴外近藤辰栄は基準時当時、前記一区画の土地のうち畑となつている部分(主として北側の西に寄つた部分)を借り受けて耕作していたことから畑へ至る通路として右空地部分を利用していたこと、

6  しかし、右空地部分はその西側の終端部で畑へ通じる畦道(原判決添付図面一に青斜線で表示した部分)に接していたが、その先は畑であつてどこへも通じていなかつたため、右空地部分を通行するのは以上の関係者に限られ、他の者がここを通行することはなかつたこと、

7  なお、基準時当時既に右一区画の土地の北寄りの東側に隣接する土地(原判決添付図面一に「角田敏光宅」と表示されている土地)上には訴外角田敏光方の住居用建物が存在していたが、その敷地と右空地部分との間には竹藪があつたため、基準時当時においては、角田方の者が右空地部分を通路としていた事実はなく、ここを自宅と県道との間の出入りのため通行するようになつたのは、その後、竹藪が取り払われてからのことであること、

以上の事実が認められ、前示乙第五号証の一のうち鈴木たまのの陳述を記載した部分、同号証の二、原審における証人鈴木たまの、同増田ちずの各証言中、右認定に反する部分は前掲各証拠に対比するとたやすく措信できず、ほかにこれを覆すに足りる証拠はない。そして、右空地部分(本件道指定地付近)が基準時当時において既に道路としての形態を整え、その敷地が明確となつていたかどうか、また、その幅員が一・八メートルを超えていたかどうかの点については、前示乙第五号証の一のうち鈴木たまのの陳述を記載した部分、同号証の二および原審における証人鈴木たまのの証言中にはこれを肯認する部分があるけれども、前示乙第五号証の一のうち北口君子の陳述を記載した部分、同甲第九号証、原審における証人中山敬一、同北口君子、当審における証人近藤辰栄の各証言と対比すると、右各証拠は基準時以降の状況を基準時当時の状況と混同している節もうかがわれるため、これをたやすく措信しがたく、ほかに右の点を肯認するに足りる証拠はない。

(三)  ところで、特定行政庁による建築基準法第四二条第二項の規定に基づく道の指定は、その対象となる土地の所有者その他の利害関係人の意思にかかわりなく、特定行政庁がその職権により公権力をもつて一方的に行なうものであり、その結果、一方で個人の財産権の内容に一定の制約を加えるという効果を生ずるのであるから、特定行政庁がこれを行なうには、そのようにするに足りる公益上の必要性が存在することを要するものというべきである。このような見地に立つて考えると、右条項にいう「現に建築物が立ち並んでいる(中略)道」というのは、ただ単に建築物が道を中心に二個以上存在していることをいうのではなく、道を中心に建築物が寄り集まつて市街の一画を形成し、道が一般の通行の用に供され、防災、消防、衛生、採光、安全等の面で公益上重要な機能を果す状況にあることをいうものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、前認定の事実によれば、基準時当時においては、本件道指定地はいわば一つの屋敷内の道路様のものにすぎず、特定の関係者以外にここを通行する者もなかつたのであるから、これが道として一般の通行の用に供されていたとはいえず、ましてや公益上重要な機能を果たすなどという状況にあつたものとは、とうていいえない。そのうえ、当時、本件道指定地との関係では、前認定のような状態で住居用建物が僅かに二戸(増田宅と鈴木宅)存在したにすぎないのであり、以上のような事実関係のもとにおいては、本件道指定地は基準時当時、建築基準法第四二条第二項にいう「現に建築物が立ち並んでいる(中略)道」には該当していなかつたというべきである。そうすると、本件道指定処分はその要件に該当する事実の存在がないのにされたものであるから、不適法な処分として取消しを免れない。

四  よつて、控訴人の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由があり、右と結論を異にする原判決は失当であるからこれを取り消したうえ、控訴人の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡垣學 磯部喬 大塚一郎)

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